~ 白山「砂防新道」を登って~

この夏、久しぶりに白山へ登ってきました。

これまではトレイルランニングのスタイルで長距離を走ることが多く、一番メインとなる登山道を歩いたことがありませんでした。今回は純粋な登山スタイルでメインルートである「砂防新道」を歩きました。

歩き始めてすぐに驚かされたのは、登山道の整備状況でした。登山口から山頂直下の「室堂」に至るまで、一般的な登山道とは思えないほど立派な石畳が延々と続いています。途中の休憩処には水洗トイレや手洗い場まで完備されており、上部からパイプで引き込まれた水も使えるようになっていました。

「登山者のために、どうしてここまで整備するのだろう?」
「霊峰白山を参拝する信者のためだろうか?」
「百名山とはいえ、少し過保護すぎるのではないか……?」

そんな疑問を抱きながら歩を進めていると、路傍に古い「竣工の碑」が現れました。刻まれていた年代は大正時代で、そこには「登録有形文化財」の文字も見えます。

その場はそのまま通り過ぎたのですが、下山後に調べてみて納得がいきました。この道は、観光や宗教参拝のために作られたものではありませんでした。「砂防新道」という名の通り、この道はもともと国の直轄事業である「砂防工事(土砂災害防止工事)」のための作業道だっただそうです。

白山の甚之助谷(じんのすけだに)周辺は、国内でも有数の大規模な地すべり地帯として知られています。昭和9年(1934年)には、死者・行方不明者112名を出した手取川の大水害も発生しました。そうした下流域での大惨事を防ぐため、100年近く前から大規模な砂防ダムの建設が始まり、過酷な崩落現場へ重機や大量の資材、作業員を安全に運ぶために築かれたのがあの道だったのです。

現在も山の中には排水トンネルが掘られ、地すべりの原因となる地下水を抜き出す地道な工事が100年以上にわたって続けられています。眼下にもまさしく工事中であるその光景が広がっていて、大正から令和に至るまで100年以上もの間、現場で土砂と対峙し続けてきた人々の地道な努力に、深い感銘を受けました。

そして、下山後。ふもとの白峰地区には、砂防について学べる展示施設「白山砂防科学館」があることも分かりました。今回は時間がなく立ち寄れませんでしたが、いつかぜひ見学してみたいと思っています。

ランde観光でも「古墳と土木と桜の園!行幸路の龍田古道を走る」では、土木技術に着目しています。大昔から地すべり地帯として人々を悩ませてきた「亀の瀬」の歴史をご紹介し、土木技術の現場を知ることができる企画です。

白山も同様ですが、こうした背景を知らなければ、ただの「歩きやすい道」で終わってしまいます。何事も知ることの大切さを改めて実感させられました。

この夏は、地球温暖化の影響と思われる大雨や氷河崩壊など、日本国内だけでなく世界中で甚大な災害が相次ぎました。日本でも各地で警戒レベル5が発令され、登山とも関係が深いネパールの土石流災害も世界に大きな衝撃を与えています。

こうした巨大な自然の脅威を前にすると、人間の力はあまりにも無力に思えます。そうではあるものの、白山や亀の瀬などで培われてきた最高峰の土木技術や山々の管理ノウハウが生かされ、少しでも減災につながることを願ってやみません。

普段は何気なく歩いている道の中にも、私たちの気づかない場所で多くの防災・減災の技術と情熱が蓄積されていることでしょう。白山の砂防新道を歩き、たくさんの大切なことに気づかされた夏となりました。

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弘瀬ガイド事務所

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